活動自粛二日目、こんなに良い天気なのに活動が出来ないのは、とても残念だ…
この時期、6年生は卒団までのカウントダウン。
今日も本当は、戸田での招待大会のはずだった…
このまま卒団を迎えてしまうのは、とても可哀想で仕方ない…
ふと6年生の成長を振り返ってみた。
2年生の冬、何も考えずに楽しくボールを追っていた時期だった。とても幼い、可愛らしい笑顔😃
当時は団長の私、ドラゴンコーチ、私の息子の旭コーチで指導をしていた。私もこの頃は、白髪だった😜
3年生になると仲間も一気に増え、公式戦、招待大会で結果も出せるようになってきた🤭
この頃から、サッカーに必要な技術を付けさせようと、繋ぐ事にこだわって、パスサッカーに徹底的に取り組んだ!
4年生の時には、戸田市スポーツ少年団招待サッカー大会で優勝もした。
「サッカーが上手になる為には、サッカー以外のところ、普段の生活からしっかりしていなければ駄目だ!オフザピッチの行動が大切なんだよ」と繰り返し指導をした。
とにかく、一生懸命取り組む。指導した事をすぐチャレンジする子供達だった。
「ミスをしない選手っているんだなー、チャレンジしない選手だよ。チャレンジしないからミスもしない。チャレンジするからミスは起きるんだ。今は何度でも取り返せる、ミスをおそれずチャレンジしよう!」と話をした事もあったな。
絶対、6年生になった時、良いチームになる。私は確信を持っていた。
うさぎと亀の話もした。「うさぎは亀を見て走ったから、油断をして負けた。亀はうさぎを見ていたのではなく、自分が目指すゴールだけを見て走ったから、うさぎに勝てたんだ!相手を見てプレーするのではなく、自分のやれる事を出し切る事だけ考えてプレーしよう」とも良く話しをした。
5年生になると、当時の6年生が少なかった事もあり、泣く泣く、飛び級でAチームへ上げた子、Bチームでプレーする子と分かれて活動するようになった。
我が団の恥をさらすようだが、Aチームの仲間で、一人二人と離脱者が出てしまった…それに釣られるように、Aチームでやれる自信がないとチームを離れる子も出てきてしまった。受験があるからと抜けた子もいた。
6年になった時、15人いた仲間が、7人になってしまった…
しかし、その神セブンは、必死に頑張ってきた!
指導者が退団した事もあり、指導方法も変わり、監督中心で、更に成長していった。
毎年7月に行う、群馬県みなかみ遠征の大会で、私が指導者になって18年で、初めてメダルも獲得した!
今、名古屋勤務でチームを離れた、旭コーチもこの代には、特別な思いがあると先日LINEがあった。
活動自粛で、ブログのネタがない今、色々と振り返って見たいと思う🤔